20歳若返る習慣は本当に必要か?冷静に考察してみた|20歳若く見えるために私が実践している100の習慣 (中経出版) :レビュー

書評

若さを維持するための方法論に対する基本的なスタンス

「一日一食」に対するひろゆき的ツッコミ

要は、一日一食って言われると、なんかすごく合理的っぽく聞こえるんですけど、実際問題、日本みたいな食文化が豊かな国で、わざわざ一食に絞るのって、人生の楽しみをかなり削ってるんですよね。 だから、「代謝がどうこう」「成長ホルモンがどうこう」っていう理屈はわかるんですけど、それよりも毎日の食事を楽しんだほうが、精神的にも健康でいられるんじゃないの?って思っちゃうわけです。

あと、成長ホルモンとかサーチュイン遺伝子がどうこうって、結局人間の体ってものすごく個体差があるので、万人に効果があるかって言うと、まぁ、ないですよねって話で。 つまり、こういう一日一食を推奨する人って、自分にうまくいった方法を、さも「これが正解」みたいに言っちゃうんですけど、科学的に万人に最適化された方法ではない、ってことを忘れがちなんですよね。

冷水シャワー療法の胡散臭さについて

冷水シャワーも、言ってることはわかるんですけど、要は「身体にちょっと負荷をかけて強くする」って発想なんですよね。 でも、それってトレーニング好きな人には向いてるけど、普通の人が続けられるわけないじゃないですか。冬の朝とかに「さぁ冷水シャワーだ!」って、どんだけドMなんですかって話で。

結局、冷水シャワーを日常的に浴び続けられる人って、もともと精神的にもフィジカル的にも強い人なんですよ。 そんな人たちの成功体験を、一般人に押し付けても「できるわけねーだろ」ってなって終わりだと思うんですよね。

だから、「冷水シャワーで免疫力アップ」とか言われても、そんなの医学的エビデンスしっかりしてるんですか?って聞きたくなります。 それよりも、普通に寝て、ちゃんと栄養バランス考えた食事して、ストレスを減らしたほうがよっぽど健康的だと思うんですよね。

心・美・体の調和に対するひろゆき的冷めた見方

「精神年齢が高いと若く見えない」って本当?

この本で「心・美・体のバランスが大事」って言ってるんですけど、精神年齢が高いと若く見えない、って、かなり雑な一般化だと思うんですよね。 要は、精神年齢が高い=落ち着いて見える=老けて見える、ってことを言いたいんでしょうけど、別に精神年齢が高くても、表情が豊かで好奇心旺盛な人って、若く見えるんですよね。

結局、「若く見える」って、外見の問題だけじゃなくて、話し方とかリアクションとか、空気感とか、もっと複合的な要素があるので、単純に精神年齢だけで語れる話じゃないと思うんです。 だから、「心・美・体をバランスよく」って言われても、「それって具体的に何をどうすればいいんですか?」って思っちゃうわけです。

「美」ってそんなに重要?

あと、「美」についても、外見にこだわるあまり、無理に若作りして逆に痛々しくなってる人、結構いますよね。 結局、美容に時間やお金をかけるのって、コスパ悪いことが多いんですよ。要は、年相応に自然体でいるほうが、結果的に魅力的に見えると思うんです。

だから、無理に若さを維持しようとするよりも、年齢に応じた自然な美しさを受け入れたほうが、精神的にも楽だし、結果的に「若々しい」印象を持たれるんじゃないかなと思います。

食生活の改善提案についてのリアリティチェック

腹6分目なんて、無理じゃない?

「腹6分目で食事を止めろ」って、まぁ理屈ではわかるんですけど、人間の本能的な欲求に逆らうことを、そんなに簡単に習慣化できるわけないんですよね。 特に日本みたいにおいしい食べ物があふれてる国だと、「ああ、これも食べたい、あれも食べたい」ってなるのが普通なわけで。

つまり、空腹感を感じながら生活することを、そんなに美化するのはどうなの?って思うんですよ。 空腹でイライラして、人に八つ当たりしたり、集中力落ちたりするほうが、トータルで見たらマイナスじゃないですか。

それなら、ちゃんと食べたいものを食べて、運動でカロリー消費すればいいじゃんっていう、すごくシンプルな話だと思うんです。 だから、腹6分目を推奨するなら、その裏にある「空腹ストレスとの向き合い方」まできちんと説明しないと、現実的じゃないよねって話です。

食材にこだわるのはいいけど、結局お金の問題ですよね

「最高級の素材を使ったシンプルな食事がいい」って言われても、要は金持ちの理論なんですよね。 オーガニックだの無農薬だの、言い出したらキリがないし、それを日常的にやろうと思ったら、食費が跳ね上がるわけで。

つまり、若さを保つために高級な食材を食べろっていうのは、誰にでもできる方法じゃない。 それよりも、普通のスーパーで買える野菜とかをきちんと調理して、栄養バランスを考えるだけでも、十分健康には近づけるんですよ。

結局、「手間暇かけるか金をかけるか」って話なので、コスパを考えたら、無理して高級食材を使わなくてもいいんじゃないの?って思いますね。

日常的な運動習慣への違和感

早歩き通勤が万能だと思ってる?

つまり、通勤時に早歩きしましょうっていうのは、まぁ運動不足の人には効果あるかもしれないんですけど、そもそも通勤自体がストレスフルな人に、さらに早歩きを強要するのってどうなの?って思うんですよね。 朝からギリギリの時間で電車に駆け込んで、満員電車で押しつぶされて、しかも早歩きもしろって、拷問みたいな生活になるだけじゃないですか。

要は、運動を習慣にするって、無理やり日常に押し込むんじゃなくて、「これなら続けられるな」っていう環境を作るほうが先なんですよね。 だから、「通勤を運動に」とか簡単に言う人って、自分がストレス耐性強いだけで、他人の生活コストをちゃんと想像できてないんじゃないかなと思います。

運動イコール健康って、思考停止じゃない?

あと、「運動すれば健康になる」っていうのも、ある意味思考停止の典型なんですよね。 結局、運動って身体に負荷をかける行為なので、やりすぎれば逆に故障したり、心臓に負担がかかったりするわけです。

この本でも「心拍数を無理に上げる運動は危ない」って言ってるけど、だったら最初から「運動しろ」って安易に推奨しないほうがよくない?って思うわけで。 結局、適度な運動って、どれくらいなの?誰にとって?っていう定義をしないと、ただの精神論で終わっちゃうと思うんですよ。

紫外線対策への微妙な違和感

日傘とサングラス常備って、社会生活に支障出ませんか?

紫外線が肌の老化を促進するのは間違いないです。うん、そこは納得です。 でも、四六時中サングラスかけて、日傘さして歩くって、日本の社会でやると、正直ちょっと浮きませんか?って話なんですよね。

要は、健康や若さを保つために社会的適応を犠牲にするのって、結局どっちが幸福度高いんですか?って話で。 そりゃハリウッドスターみたいな生活してる人なら、常にサングラスでいいかもしれないけど、普通の日本の会社員が毎日サングラスかけて出勤してたら、まぁまあ変な人扱いされる可能性高いわけです。

だから、紫外線対策は大事だけど、現実的な落としどころを探るべきであって、原理主義的に「絶対日傘サングラス!」みたいな押しつけはどうなの?って思いますね。

健康リスクをゼロにする努力ってコスパ悪いですよ

あと、紫外線リスクをゼロにしようとする努力って、すごくコスパ悪いんですよ。 だって、完全に日光を遮断して生活してたら、ビタミンD不足になって、逆に骨粗しょう症のリスクとか出てくるわけで。

要は、リスクを完全に排除しようとするんじゃなくて、「どこまで許容するか」っていうバランス感覚が大事なんですよね。 完璧な健康とか若さって存在しないので、「ある程度老化するのは当たり前、それでもできる範囲で対策する」ってスタンスでいいと思うんです。

若返り習慣に対する総合的な見解

結局、「努力の方向」を間違えないほうがいい

この本全体を読んで思うのは、「若く見えるために努力する」こと自体は否定しないんですけど、努力の方向を間違えると、すごくコスパが悪くなるよねってことなんですよ。

要は、毎日空腹と戦って、冷水シャワー浴びて、紫外線を避け続けて、社会的な違和感を我慢して……って、そこまでして10歳若く見えたところで、人生本当に楽しいの?って疑問なんですよね。

若さって、ある意味「副産物」でしかなくて、日々の生活が楽しくて、ストレス少なくて、周りと良好な関係が築けてたら、勝手に若々しく見えるもんだと思うんです。 つまり、手段と目的が逆転しちゃうと、不幸になりやすいよねって話です。

若返りよりも、「老化を受け入れる賢さ」のほうが大事

そして、もっと本質的に大事なのは、若さを維持することよりも、「老化を受け入れる賢さ」だと思うんですよ。 だって、人間誰でも老いるし、寿命も有限なんだから、それを無理に抗おうとするより、自然な変化を受け入れて、そこに楽しみや意味を見出すほうが、結果的に幸福度が高いわけです。

だから、「20歳若く見えるために」っていう目標設定自体が、ちょっとズレてる気がするんですよね。 年齢なりの知識とか経験を積み重ねて、自然体で生きていれば、それだけで十分魅力的になれると思うので、無理に「若さ」に執着する必要はないんじゃないかなと。

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