老いは「病気」ではなく「習慣の集大成」
そもそも「脳が老ける」って何ですか?
要は、「脳が老ける」って表現自体がちょっとフワッとしてるんですよね。で、それって具体的にどこからが「老けた」って言うんですか?記憶力がちょっと悪くなったらもう老けてるんですか?じゃあ、10代でスマホばっかり見てて集中力ゼロの人は脳が老けてるって話になりますよね。
結局、「脳が老ける」ってのは医学的な定義というよりも、社会的に「なんとなく」困るような状態をそう呼んでるだけなんですよ。たとえば、名前が出てこないとか、忘れっぽくなるとか。でも、それって普通に寝不足とかストレスでも起こることですからね。
MCIという名の「ラベル貼り」
MCIって言葉が出てきますけど、「軽度認知障害」って、これもまた便利なラベルなんですよね。「まだ認知症ではありません。でも、ちょっと気をつけましょう」っていう段階。でもそれって、病気というより「注意喚起」であって、要するに「生活習慣を見直したほうがいいよ」って言ってるだけなんですよ。
つまり、「MCIです」と診断されても、それが将来の認知症につながるとは限らないし、逆にMCIじゃなくても生活習慣がグチャグチャな人はリスクが高いわけで。ラベルに安心したり焦ったりするより、「普段どう暮らしてるか?」のほうが大事です。
脳の「ゴミ」は生活の産物
アミロイドβが「脳のゴミ」って言われるんですけど、それが蓄積される理由って、要は代謝とか睡眠とかの問題なんですよ。で、面白いのはこの「ゴミ」、実は誰でも持ってるんですよね。蓄積が多すぎると問題だけど、少ない人でも認知症になることはある。
だから、「アミロイドβを減らせばいい」って単純な話じゃないんですよ。人間の体って、もっと複雑なんで。「この物質が悪い」って犯人探しみたいなアプローチって、正直あんまり意味がないと思うんですよね。もっと全体を見たほうがいい。
習慣が脳を守る? それ、逆じゃないですか?
「緑茶とコーヒー」は魔法の飲み物じゃない
緑茶とコーヒーがいいって話、よくありますけど、じゃあそれ飲んでれば大丈夫なんですか?って話ですよね。1日2杯の緑茶、3杯のコーヒー。それって数字だけ見ると「簡単そう」だけど、そもそもカフェイン耐性のある人や胃が弱い人にとっては負担になりますよ。
で、ここで大事なのは「飲むことそのもの」より、「規則的な習慣を持っているかどうか」なんですよね。つまり、緑茶じゃなくて麦茶でも、ちゃんとした生活リズムがある人のほうが認知症にはなりにくいと思うんですよ。あくまでこれは「結果」であって「原因」じゃない。
オシャレで脳が若返る? それは言いすぎ
外見に気を使うことが脳にいい、って話もありますけど、要するに「外に出て、人と会う機会が増える」から脳が刺激されるわけですよね。でも、だったら別にオシャレじゃなくても、コンビニでちょっとした会話するだけでも効果あるんじゃないですか?
「2週間に1度のオシャレが脳を活性化」とか言うと、ちょっと話が盛られてる気がするんですよ。そこに「医学的根拠」がどこまであるのかって疑問ですね。オシャレしない人が認知症になる確率が高いってデータ、ありますか?って話です。
新しい体験は確かに脳にいい、でも…
「未知との遭遇」が脳にいいってのはまあ納得できる話です。新しいことをすることで脳が活性化する、っていうのは心理学でもよく言われることですから。でも、それって「新しいことを楽しめる」人じゃないと続かないんですよ。
結局、脳にいい生活ってのは、「脳にいいことを無理なく続けられる仕組みを作る」ってことなんですよね。だから、「とにかく新しい店に行け」ってのは雑なアドバイスで、人によってはそれがストレスになることもあるわけで。
「努力」より「構造」が人を変える
脳トレは手段であって目的ではない
数字の引き算とか記憶テストとか、そういう脳トレを日常に取り入れることが推奨されてますけど、これって「やってる感」が強くて、続かない人が多いんですよ。で、続かないと「自分はダメだ」って思って余計に脳に悪い。
つまり、「努力でなんとかしよう」とするからうまくいかないんですよ。努力じゃなくて、「気づいたら脳にいいことをしてた」って状態を作ることが大事で。たとえば、買い物行くときに階段使うとか、友達と話すときにビデオ通話を使うとか、そういう生活の中に埋め込む仕組みが必要なんですよね。
社会的なつながりが脳を支える構造
人と話す、新しいことをする、ってのは確かに効果ある。でも、それを「自分の意志でやりましょう」って言われても、年を取るほど難しいわけですよ。要するに、「社会的な構造として、それが自然と発生する環境を作る」ことが必要なんですよ。
たとえば、高齢者が自然に集まる場所とか、世代を超えた交流ができるスペースとか。日本って「孤立」しやすい国なんですよね。個人に負担を押しつけるんじゃなくて、社会のデザインとして支えるって発想が必要です。
「睡眠の質」で差が出る? 本当に?
23時就寝が正義、って誰が決めたんですか?
「23時以降に寝ると認知症リスクが上がる」とか言われても、それって日本人の生活スタイルとあまりにかけ離れてませんか?ブラック企業で働いてる人とか、家事育児で忙しい人に「23時前に寝ましょう」って言っても、できないものはできないんですよ。
それに、早寝が全員にとって良いとは限らないんです。フランスなんて、夕飯が21時とか普通ですし、夜型の人が多い。でもだからってみんな認知症になってるかっていうと、そうでもないんですよね。結局、本人の生活リズムに合った睡眠が一番だと思いますよ。
「睡眠=脳のリセット」という幻想
確かに睡眠は脳のメンテナンス時間って言われてますけど、それって「絶対に8時間寝ないとダメ」って話ではないんですよ。睡眠って質と量のバランスなんですよね。短くても深く眠れればOKって人もいるし、長く寝ても浅ければ意味ない。
だから、「何時に寝るか」よりも、「自分がどのタイミングでちゃんと回復できるか」を知ることが大事なんですよね。でも、多くの人は「正解の睡眠法」を探してしまうんです。それって要は、他人のルールに自分を合わせようとしてるだけなんですよ。
「ビデオ通話」万能説へのツッコミ
視覚と聴覚を使うことが脳に良い、って本当?
ビデオ通話は視覚と聴覚を同時に刺激するからいい、って言われますけど、それって「目と耳を使うなら何でもいい」って話でもあるんですよね。だったらテレビ観てもいいし、映画でもいいし、動画編集でもいいわけです。
で、ビデオ通話って結構疲れるんですよ。表情を意識しなきゃいけないし、声のタイミングもズレるし、通信トラブルもあるし。結局、「人と関わること」が大事であって、通話の形式はどうでもいいんじゃないかなと。
コミュニケーションの本質は「量」より「質」
人と会話することが脳にいいっていうのは、まあその通りなんですけど、「とにかく話せばいい」ってものじゃないんですよ。意味のない世間話を1時間するよりも、3分間でも深い話をした方が、よっぽど脳に刺激になると思うんですよね。
つまり、コミュニケーションって「話すこと」じゃなくて「何を感じるか」なんですよ。相手との関係性とか、会話の中での驚きとか共感とか、そういう心の動きが脳を刺激するわけで。だから、「ビデオ通話が効果的」ってのはちょっと雑なまとめ方かなと。
「習慣」がすべてを解決するという幻想
人はそんなに意志が強くない
この本って、生活習慣を整えれば脳の老化を防げるっていうポジティブなメッセージなんですけど、要は「人間ってそんなに自分を律せないんですよ」。理想を言うのは簡単だけど、それを続けられる人って1割もいないと思うんですよね。
「1日3杯のコーヒーを毎日」「毎週新しい場所に行く」「週1で運動」って、聞こえは良いけど、仕事や家庭や体調とか、いろんな要因で続かないことの方が多いんです。だから、習慣化に頼るんじゃなくて、「失敗しても戻れる仕組み」を作った方がいい。
「成功した人」の習慣を真似ても意味がない
本でよくあるパターンが、「成功した人はこうしてる」って話なんですけど、それってその人の環境や性格、バックグラウンドありきなんですよ。例えば、毎朝5時に起きてランニングする社長がいたとして、それがあなたにとっても良いとは限らない。
同じように、「緑茶を飲んでる人は認知症が少ない」とかっていう話も、「そういう人は他の生活習慣も整ってる可能性が高い」ってだけなんですよね。ひとつの習慣だけ切り取って真似しても、あまり意味ないです。
認知症予防は「生活全体のバランス」
大事なのは「続けられる仕組み」
結局、脳の健康を保つには、何より「続けられること」が重要なんですよ。だから、最初から完璧を目指すよりも、「無理なくちょっとずつ変える」くらいの方が現実的です。
たとえば、緑茶じゃなくて白湯でもいいし、散歩が難しければ家でスクワットでもいい。つまり、「自分の生活の中で、ちょっとだけ楽しくできる工夫を加える」くらいが一番続くし、結果として脳にもいい影響が出るんですよね。
「孤立しない構造」を社会がどう作るか
認知症の予防に一番効くのは、実は「孤立しないこと」だと思うんですよ。人間って、誰かと関わってるだけで考えたり、感情を使ったりするんで。それが脳への最大の刺激なんです。
だから、個人が努力するよりも、社会全体として「人と人がつながれる場所」や「話すきっかけ」を作ることの方が、よっぽど効果的だと思うんですよね。介護施設とか公民館とかだけじゃなく、カフェやスーパーの会話も立派な予防なんです。
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