雑談が苦手でも信頼される人の共通点|何を話せばいいのかわからない人のための雑談のルール (中経の文庫) :レビュー

書評

雑談は「信頼のツール」か「無駄なノイズ」か

雑談で信頼を築くという幻想

雑談で信頼関係が築けるって言う人、けっこう多いんですけど、それって本当なんですかね。 たとえば営業の人が「雑談で距離を縮めて契約が取れました」って言ったりするんですけど、冷静に考えると、相手が話したくなるような雑談ができる人って、もともと人当たりが良くて営業力も高い人なんですよ。つまり、雑談の力っていうより、その人の人間力とかキャラの問題なんじゃないかと。

で、そもそも雑談で親密になるって、逆に言うと、雑談がうまくいかないと関係性が築けないってことになりますよね。 それって、めちゃくちゃ非効率だと思いませんか? 要は、必要な会話だけで関係性を築けないとしたら、社会全体の生産性ってかなり落ちるんですよ。

雑談は準備するものじゃない

あと「雑談のためにネタ帳を作りましょう」って話もありましたけど、いやいや、それってもう雑談じゃなくてプレゼンなんですよね。 芸人がネタ帳を持つのは、本業だからであって、一般人が毎日話題をメモする生活って、冷静に考えてちょっと異常じゃないですか?

普通に考えて、面白い人って、日常の中から自然と話題を引き出せる人なんですよ。 だから、雑談力を鍛えるより、観察力とか好奇心を鍛えたほうがよっぽど効率的だと思います。

で、「ニュースや天気を話題にしましょう」っていうテンプレ雑談も、相手がそれに興味ない場合はただのノイズになりますよね。 天気の話で盛り上がったこと、人生で何回ありました?って話なんですよ。

チャンクアップとチャンクダウンの誤解

深掘りの技術は相手次第

チャンクダウンとかチャンクアップっていうのも、まあNLPの中でよく出てくる手法なんですけど、そもそもそれをやって会話が成立するのって、相手がある程度喋りたがりな場合なんですよね。

たとえば、「どんなお酒が好き?」って聞いて「ビールです」って返ってきたあとに「ビールを飲むとどう感じますか?」って聞いたとしますよね。 これ、相手によっては「え、なんでそんなこと聞くの?」ってなるんですよ。

つまり、会話を掘り下げる技術って、相手がそれに乗ってくれる場合にだけ意味があるんです。 会話って双方向のキャッチボールなんで、こっちがどんなに質問しても、相手が打ち返す気がなければ成立しない。 なので「テクニックだけで会話をコントロールできる」という前提自体が、ちょっとずれてるんじゃないかなと。

NLPの限界と誤用

あと、この手の本にありがちなんですけど、「NLPを使えば誰でも雑談上手になれる」っていう主張、これもかなり危ういですね。 NLPってもともと心理療法とかに使われるもので、ビジネス書に出てくるNLPって、だいたい都合のいい部分だけ切り取られてるんですよ。

たとえば、成功者の行動を真似すれば成功できるみたいなロジック、あれって「再現性のない事例の後追い」なんですよね。 「アップルのCEOはこうしてました」って話があったとして、じゃあ全員がその通りにやったら成功するかっていうと、そんなことないわけで。

雑談も同じで、成功者が雑談うまかったからといって、雑談がうまくなれば成功するっていうのは因果関係の逆転なんですよ。 成功した人がやってたこと=成功の要因、とは限らないんですよね。

聞き上手という幻想と危うさ

「相手に話させる」のリスク

「聞き上手になれば信頼される」っていうのも、まあ、聞こえはいいんですけど、じゃあずっと聞いてるだけで何も発信しない人って、結局どう思われるかっていうと「何を考えてるか分からない人」になるんですよ。

要は、聞き役に徹しすぎると、自分の存在感がなくなるんですよね。 だから、雑談における聞き上手って、実は「うまく話を転がす技術」なんですよ。 でも、それって雑談力じゃなくて、むしろ「編集力」とか「司会者的スキル」だったりするんですよね。

それを「聞き上手になればOK」みたいに単純化するのって、ちょっと雑すぎるんじゃないかと思います。 雑談って、本来もっと自然で曖昧なもので、テクニックで管理しようとした瞬間に不自然になるんですよ。

具体性の追求が会話を殺す場合もある

「たとえば?」とか「具体的には?」っていう質問も、使い方を間違えると尋問になります。 例えば、「この前映画見たんですよ」って言った相手に「どんな映画? どこが良かった?」って詰めていくと、相手が困ることがあるんですよ。

人によっては、なんとなく面白かったくらいのふんわりした感想で済ませたいんですよ。 そこを具体性で潰していくと、「あ、この人と話すと疲れるな」って思われるわけで。

つまり、「会話を深める」っていう発想自体が、相手によっては迷惑なんですよね。 雑談ってのは、ある程度のふわっとした空気感が大事で、それをテクニックで整理しようとすること自体が、根本的にズレてる気がします。

まとめ:雑談は「技術」より「余白」

雑談って、そもそも正解のない会話なんですよ。 それを「ルール化」して、「こうすればうまくいく」って言っちゃう時点で、ちょっと違和感があります。

だいたい、人間関係って雑談だけで決まるものじゃなくて、相手の態度とかタイミング、空気感とか、そういう言語化できない要素がほとんどなんですよ。 それを技術に落とし込んでしまうと、逆に「雑談の不自然さ」が際立ってしまうんじゃないかなと。

結局のところ、「何を話すか」よりも「どう過ごすか」のほうが人間関係には重要で、雑談ってのはその一部に過ぎないわけです。 それを過剰に重要視すると、コミュニケーションの本質を見失う気がしますね。

雑談に求めすぎる現代社会の違和感

「雑談力=人間力」の幻想

最近、「雑談ができないと仕事もうまくいかない」とか、「人間関係を築くには雑談が必要」っていう話がよく出てくるんですけど、要はこれって「話さなきゃいけない」っていう強迫観念に近いと思うんですよね。

でも、冷静に考えてみてほしいんですけど、無口でも信頼されてる人っているじゃないですか。 寡黙だけど、仕事ができるから尊敬されてるとか、静かだけど誠実だから安心できるとか。 そういう人たちが雑談力がないからって劣ってるかというと、全然そんなことないわけです。

つまり、雑談ができない=人間関係が築けないっていうのは、ちょっと飛躍しすぎなんですよね。 むしろ、無理に雑談しようとして空回りする人のほうが、逆効果になるケースも多いんじゃないかなと。

「話すことがない=悪」ではない

そもそも「何を話せばいいのかわからない」って感覚って、実はめちゃくちゃ自然なんですよ。 だって、言いたいことがなければ、話さなくていいじゃないですか。

それを「何か話さなきゃ」って無理して雑談を始めるから、会話がぎこちなくなるんです。 無理にしゃべらなくても、沈黙が気まずくならない関係のほうがよっぽど親密なんじゃないかなと思うんですよね。

なので、「話すことがない」という状態をもっとポジティブに捉えるべきで、「言葉にしなくても通じ合える関係を目指す」っていう考え方のほうが、本質的なんじゃないかと思います。

雑談テクニックの落とし穴

名前を覚えて連呼する違和感

「相手の名前を繰り返すと好感度が上がる」ってテクニック、たしかに心理学的にはそういうデータもあるんですけど、これも使い方を間違えると逆効果です。

たとえば、やたらと「○○さんはどうですか?」って繰り返されると、なんかマニュアル感が強すぎて、むしろ距離を感じるんですよ。 「この人、自然な会話じゃなくてスクリプト通りに動いてるな」って感じが出ちゃう。

つまり、人の心って「テクニックで動かせる」ほど単純じゃないんですよ。 むしろ、「名前を覚えよう」っていう姿勢そのものが、自然と相手に伝わるくらいでちょうどいいんです。

ポジティブで締めるのが本当に正解か

否定的な話をしたあとに「でも良かったこともあった」ってポジティブに締めるっていうのも、まあ、空気を悪くしないための処世術なんでしょうけど、それって要は「感情を隠して話す技術」なんですよね。

それって、本音の会話とはちょっと違うと思うんですよ。 たとえば「旅行でトラブルがあって最悪だった」って話を無理やり「でも食事は美味しかった」って締めると、それって話のリアリティが失われちゃう。

本当に信頼される人間関係って、ネガティブな話もちゃんと共有できる関係なんですよ。 だから「ポジティブに締めなきゃ」って思い込むと、むしろ浅い会話しかできなくなるリスクもあると思うんですよね。

「自然体」のほうが信頼される

緊張を緩和する方法は人それぞれ

本書では「リラックスして会話しましょう」とか「深呼吸して緊張をほぐしましょう」ってアドバイスがあるんですけど、それってけっこう表面的な対処なんですよね。

本当に緊張しないためには、「この場で失敗しても別にいいや」って思えるマインドのほうが重要なんですよ。 つまり、完璧な会話をしようとするから緊張するわけで、「どうせうまく話せないし」って開き直ったほうが、結果的に自然な会話ができるんです。

要は、「雑談のテクニックを学んでうまく話そう」とするより、「話せなくてもいいや」って思うほうが、よっぽど効果あるんじゃないですかね。

結局、うまく話すより、誠実に話す

雑談の目的って、うまく話すことじゃなくて、相手と良い関係を築くことですよね。 だとしたら、多少会話がぎこちなくても、誠実に話そうとしてることが伝われば、それでいいんですよ。

むしろ、滑らかに喋れるけど中身が薄い人より、ちょっと言葉につまっても本音で話す人のほうが信頼されるんですよね。 人間って、言葉よりも「態度」を見てるんで。

だから、雑談力を上げることに時間を使うくらいなら、誠実な態度とか、相手に対する興味とか、そういう部分を磨いたほうがいいんじゃないですかね。

おわりに:雑談を「義務」にしないで

雑談って、もともと「義務」じゃなくて「余白」なんですよ。 何かを伝えるための会話でもなく、目的を達成するためのツールでもなく、「ただ何となく話す」っていう自由な時間。

その自由さを奪ってしまうと、雑談の価値も失われるんですよね。 だから、「うまくやろう」とか「役立てよう」とか、あんまり思い詰めないほうがいいと思います。

結局のところ、人間関係って「ちゃんと雑談できたか」じゃなくて、「この人と一緒にいて楽しいか」「落ち着くか」で決まるんで。 雑談の技術を磨くより、自分自身をリラックスさせるほうが、よっぽど大事なんじゃないかなと思います。

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