人間性と説得力の錯覚
「誠実さが大事」というけど、それってどう測るの?
よく「説得力には人間性が大事」って言われるんですけど、それって要するに「誠実な人は信用される」って話なんですよね。でも、それって「空が青い」みたいなもんで、当たり前すぎて意味がないんですよ。誠実さって結局、主観なんですよね。じゃあ、どうやって誠実さを他人に伝えるかって話になるんですけど、たとえば毎回丁寧にあいさつして、嘘をつかないとか、約束を守るとか、そういう「積み重ね」でしかない。
でも、それをちゃんとやってる人でも、ちょっとした一言や態度で「誠実じゃない」って思われることもあるし、逆にうまく取り繕ってる人が「信頼される」こともある。つまり、「誠実さ」って、人の主観と状況に左右されるから、説得の武器としては不安定なんですよ。
結局、人間性って「演出」でしかない
僕の考えでは、説得における人間性って「演出」なんですよ。つまり、どれだけ相手に「誠実そう」と思わせられるかが大事であって、実際に誠実かどうかは二の次なんですよね。詐欺師がいい例で、「信用できそう」って演出がうまいから騙されるわけで。だから「人間性=説得力」って論は、かなり危ういと思います。
よくある講演者の話もそうで、「この人は人間性がある」って思わせる話し方をしてるだけで、中身が伴ってるかどうかは別問題なんですよ。だから「信頼感を与える技術」としての説得力と、「実際の人格」を混同すると危険なんです。
相手の欲求って、結局は「損したくない」だけ
欲求を理解するより、不安を突くほうが早い
「相手の欲求を理解することが説得に繋がる」って、いかにも道徳的っぽい話なんですけど、現実問題として、多くの人は「得をしたい」より「損をしたくない」なんですよね。だから欲求を探るより、「このままだと損しますよ」って伝えたほうが、人は動きやすいです。
営業の現場でも、メリットよりもリスクを伝えたほうが契約取れたりします。「保険に入らないと、万が一こうなりますよ」みたいな話って、まさにそれですよね。だから説得って、「相手を安心させること」より「不安をコントロールすること」のほうが効果的なんです。
欲求のヒアリングって、そんなに万能じゃない
あと、「相手の話を聞く」ことで欲求を理解するって言うんですけど、そもそも自分の欲求をちゃんと自覚してる人って少ないんですよ。だから聞き出そうとしても、相手自身がよくわかってない。なので結局、「この人にはこういう不安があるだろう」って想像して、仮説を立てて話すほうが効率的なんですよね。
うん、そう考えると、「欲求を理解する」っていうより、「不安の元を探して、それを解消するような言葉を選ぶ」っていうスキルのほうが、実践的だと思います。
信頼関係の幻想とロジックの優先順位
信頼は「結果の積み重ね」でしかない
「信頼関係が大事」って、そりゃそうなんですけど、それも結果論なんですよね。つまり、何度かいい結果を出したから信頼されるのであって、最初から信頼されるわけじゃない。営業マンの松崎さんの話も、別に誠実さが武器だったんじゃなくて、「結果を出したから」信頼されただけなんですよ。
それを「人間性が信頼を生んだ」とか言うと、ちょっと話が美談になりすぎる。信頼って、パフォーマンスの裏付けがあって初めて成立するもので、「いい人そう」ってだけでは続かない。だから、信頼関係を説得の出発点とするより、「小さな実績を重ねること」が先じゃないかなと思います。
論理を無視した信頼って、危険なんですよ
もうひとつ、信頼を優先するあまり、論理的な話を後回しにする人が多いんですけど、それってリスクでしかないです。信頼があるからって、正しくないことでも「はいはい」って聞いてたら、組織はどんどん間違った方向に行きます。
つまり、「信頼されてるから説得できる」って考え方じゃなくて、「論理が通ってるから信頼される」って順番で考えないと、ただの仲良しクラブになっちゃう。信頼が説得の前提になるっていうのは、ちょっと本質を見誤ってる気がします。
自己表現と「聞かれる技術」
伝える力より、聞かれる力のほうが大事
本では「自己表現が大事」って言ってるんですけど、そもそも人って「聞かれないと話を聞いてもらえない」んですよね。つまり、どれだけ正しく自己表現しても、「こいつの話を聞いてみたい」と思わせないと意味がない。だから必要なのは、自己表現のテクニックより、「話を引き出させる空気づくり」なんです。
石垣りんさんの詩の話もそうで、「表現したから伝わった」んじゃなくて、「受け取る側が感受性を持ってたから伝わった」ってだけなんですよ。要は、「自分が伝えたいこと」より、「相手が聞きたくなる構造」を作ることのほうが重要だと思います。
自己表現のズレは、むしろ逆効果になる
あと、自己表現を重視しすぎると、「自分語りマシーン」になる人が出てくるんですよ。で、そういう人って、相手の話を聞かない。結果、説得どころか、「あいつの話は長いだけで意味ない」って評価になる。
だから自己表現って、「自己理解」が伴ってないと逆効果なんです。何を伝えたいのか、なぜそれが必要なのか、どこまで伝えたら相手が理解するのか、っていう設計がないと、ただの独りよがりになっちゃうんですよね。
言葉と行動の「不一致リスク」
一貫性がない人は、信用されないという現実
「言葉と行動に一貫性が必要」って話も、ある意味では当たり前すぎるんですけど、要は「口だけの人って信用されない」ってことなんですよね。でも多くの人って、その一貫性を意識してるつもりでも、無意識に矛盾してたりするんですよ。たとえば、「自由な社風です」って言ってる会社の上司が、部下の発言を無視するとか。行動が一致してないと、説得力どころか、信用までマイナスになります。
あと、これはよくある話なんですけど、「いいこと言ってたのに、SNSでボロが出る」とかね。今の時代、すぐ行動が可視化されるから、より一層一貫性って求められてるんですよ。
結局、言葉より「見られてる」行動が説得する
説得って言葉の力っぽく見えるんですけど、結局人って「言ってること」より「やってること」で判断してるんですよね。だから、言葉でどれだけ説得しようとしても、行動が伴ってなければすべて無駄。部下に「ミスしても大丈夫だから挑戦して」とか言ってる上司が、誰かの失敗を怒鳴ってたら、それだけで「この人の言葉は信用できない」ってなる。
つまり説得の鍵は「演技力」じゃなくて「整合性」なんですよ。で、その整合性を保つためには、自分が何を言ったか、どう見られてるかを常に意識する必要がある。でも、そんな器用な人って多くないんですよね。だからこそ、一貫性を意識できる人は、それだけで強い。
環境とタイミングのマネジメント
説得って、タイミング芸なんですよ
「タイミングが重要」っていうのは、ほんとそうで、いくらいい提案でも、相手が疲れてたり、機嫌が悪かったりすると通らないんですよね。逆に、なんでもない話でも、相手の心理状態がポジティブなときは「それいいね」ってなる。だから説得って、ロジックや言葉の巧さよりも「空気を読む能力」のほうが影響力あるんですよ。
で、それってつまり、「理屈よりも感情のタイミングに合わせる」ってことなので、感情的な判断を軽視してると説得はうまくいかない。だから、理論派の人ほど、失敗しやすいジャンルでもあるんです。
環境が変われば、同じ言葉でも刺さる
環境っていうのも同じで、カフェで話すのと会議室で話すのでは、伝わり方が全然違うんですよ。例えば、怒ってる相手に硬い会議室で「冷静になってください」って言っても火に油ですけど、ちょっとリラックスした場所だと「まあ、そうですね」ってなる。
つまり、「説得する内容」より「どういう環境で伝えるか」のほうが、むしろ効果が大きい。物理的にも心理的にも「受け入れられやすい状態」を作ってから話すっていう、段取りの部分がすごく重要なんですよ。で、それって意外と軽視されがち。
フィードバックと成長という落とし穴
フィードバックを受け入れられる人は少ない
「自己改善のためにフィードバックを活かす」って、言うのは簡単なんですけど、実際はなかなか難しいんですよ。なぜなら、人間って自分の欠点を認めたがらないから。しかも他人からの指摘って、だいたい感情が混ざってるんで、冷静に受け止めにくい。
録音して自分の話を聞き返すっていう方法も、実際にやると結構つらいんですよ。「こんな声なの?」「話長くない?」みたいな。だから、そもそも自己改善って、精神的に強い人しか続かないし、続けられる人って極めて少数派なんですよね。
成長には「痛み」が伴うから、多くの人は避ける
さらに言えば、成長って基本的に「痛み」なんですよ。自分のダメさと向き合う必要があるし、それを改善するには時間と努力が必要。でも、人って基本的に怠惰なので、成長のプロセス自体を避ける傾向がある。
だからこそ、説得力を高めたいなら、「自己改善しましょう」より、「自分の型を決めて、それを磨く」って方向のほうが現実的なんです。要は、「全部できる人」を目指すより、「一個だけでも人より説得力ある」って状態を作るほうが効率いい。
最後に:「説得」って、意外と非論理的
人を動かすのは、理屈よりも「感じの良さ」
ここまでいろいろ言ってきたんですけど、要は「説得力」って思われてるものの大半が、「感じの良さ」に集約されるんですよ。論理が整ってるとか、情報が正確とかよりも、「この人の話なら聞こうかな」と思わせる「雰囲気」や「ノリ」のほうが影響力ある。
つまり、「説得力がある人」って、論理力がある人じゃなくて、「人間関係を調整する能力が高い人」なんですよ。だから、議論に強い人=説得力がある人、って思い込んでると、実生活では空回りしがちです。
論理より「ズルく生きる」力のほうが重要
説得って「正しいことを言う」ことじゃなくて、「相手が納得するように話す」ことなので、むしろ論理は邪魔になる場面すらあるんですよ。つまり、「正しすぎる話」は、時に人をイラッとさせるんです。だから、「ちょっと曖昧に」「ちょっと笑いを混ぜて」「相手に選ばせる風に」っていう、ズルいコミュニケーションのほうが、結果的に人を動かす。
結局、人を動かす力って、「どれだけ相手にとって都合がいいか」「どれだけ面倒をかけないか」なんですよ。だから、説得のために自分を磨くより、「相手が動きやすい状況」を設計する力のほうが、よっぽど現実的で効果的なんです。
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